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2017.03.31 (Fri)

【妻】批判すること

批判することを良しとしない人がいます。
一方で、世の中が悪い方向に進んでいるのに、批判もせずに無関心を決め込んでいることを良しとしない人もいます。

私は長い間、批判することに対する違和感と、批判は極力したくないという呪縛に囚われてきたように思います。

最初に批判ということを意識したのはマザーテレサの「私は反戦運動には参加しません。でも、平和のための活動になら喜んで参加します」という言葉を知ったのが、きっかけでした。

「ふむ、そうか」とズシンと来て、その後、自分の経験からも、「ミイラ取りがミイラになる」ことはいくらでもあって、そこら中に転がっている現象であることに気づいてみたりしました。批判している人が、自分が批判している人とそっくりのことをしている(もちろん、矛先は違います)という、あれですね。

あと、子供のころに、あさま山荘事件が起きたりして、批判しすぎる人や集団がどうなっていくのか、「正義」がいかに恐いものとなりうるかを、言語化できないレベルで、子供心に感じ取ってきた世代であることも、関係あるかもしれません。あれはとにかく強烈でした。

でも、自分に火の粉が降りかかってきているのに、それを跳ね返すための声すら上げずにいることと、私が恐れてきた批判とは、ちょっと違うんじゃないかと最近思います。

以前、テレビのドキュメンタリー番組で、ヒトラーが台頭してきた当初は、多くの人が眉をひそめながらも、「あんなバカな人たちが主流になるわけがない」と甘くみているうちにあれよあれよという間に勢力を増し、権力を掌握し、言いたくても何も言えない社会になっていたというような流れを追っていて、うわぁ~と思いました。

そんなこともあり、今は、自分の中で、前ほど批判がタブーではなくなっているのですが、私が批判的な発言をするときに、なんとなく気にしているのが、「批判することで気持ちよくなっていないか」ってことです。

「正しい者」として批判する気持ち良さとか、「何らかの危機や危険性に気づいている者」として鋭く批判する気持ちよさといったものが、心の中にくすぶっているようなら、一旦保留します。

無肥料無施肥の農法を伝える岡本よりたかさんが、Facebookでこんな投稿をアップしていました。

「何かを批判しないとアイデンティティを保てない生き方は嫌だな。優れた物を見つけて称賛する。ディスリスペクトではなくリスペクト。そんな生き方をしたいね。おやすみ。」

マザーテレサと、言ってることは同じなんだけど、「何かを批判しないとアイデンティティを保てない」という切り取り方に、なるほどと思いました。あさま山荘事件の火中にいた人たちは、まさに批判をすることがアイデンティティになっちゃってたんだろうな。

というわけで、「批判は諸刃の刃」ってことを心に留めつつ、そういった考えにも囚われすぎずにやっていきたいなぁと思うこのごろでした。

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